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東京高等裁判所 昭和53年(行コ)47号 判決

控訴人

伊藤三郎

控訴人

(附帯被控訴人)

川崎市

右代表者市長

伊藤三郎

右両名訴訟代理人

掘家嘉郎

外三名

被控訴人

(附帯控訴人)

宮下孝介

右訴訟代理人

坂田治吉

主文

原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求及び附帯控訴(当審で拡張した請求を含む)をいずれも棄却する。

訴訟費用(当審で拡張した請求に関する訴訟費用を含む)は第一、二審とも、被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実《省略》

理由

一先ず、控訴人らの本案前の主張について判断する。

被控訴人が川崎市の住民であり、控訴人伊藤が同市の市長であることは、当事者に争いがなく、控訴人伊藤に対する本件訴えが地方自治法二四二条の二第一項四号によるいわゆる代位請求訴訟であることは、被控訴人の主張に徴し明らかである。

ところで、右代位請求訴訟は、地方公共団体が、職員又は違法な行為若しくは怠る事実に係る相手方に対し、実体法上損害賠償等の請求権を有するにもかかわらず、これを積極的に行使しようとしない場合に、住民が地方公共団体に代位し右請求権に基づいて提起するものであるから、右訴訟の被告適格を有する者は、右訴訟の原告により訴訟の目的である地方公共団体が有する実体法上の請求権を履行する義務があると主張されている者であるというべきである。

被控訴人は、本件において、控訴人伊藤について違法な公金の支出があるとして、同控訴人が川崎市に損害賠償をなす義務を負うと主張しているのであるから、控訴人伊藤は被告適格を有するといわなければならない。

控訴人らは、前記地方自治法二四二条の二第一項四号は、「普通地方公共団体に代位して行なう当該職員に対する損害賠償の請求」と規定し、控訴人伊藤は右「当該職員」に該当しないから被告適格を欠く旨主張するが、代位請求訴訟における被告適格は同訴訟の構造からして前記のとおり解するのを相当とし、前記「当該職員」は、同法二四二条一項を受け、普通地方公共団体がこうむつた損害の原因たる違法な支出行為を行つた職員を意味するにとどまり、被告適格を規定したものとは認められないから、控訴人らの主張は理由がない。(控訴人伊藤が右のような「支出行為を行つた職員」であるかどうかは、本案の判断において取り上げられるべき問題で、被告適格の問題ではないというべきである。)

従つて、控訴人伊藤が被告適格を欠き、同控訴人に対する本訴が不適法である旨の主張及び同控訴人に対する本訴の不適法を前提とし、控訴人川崎市に対する本訴が不適法である旨の主張(控訴人らの本案前の主張)は、いずれも採用することができない。

二そこで進んで、控訴人伊藤に対する請求について判断する。

(一)  川崎市港湾管理部長小島雷太が昭和四九年一一月二六日「同人は昭和四八年八月頃時価八万円相当のガスライター一個及び同年一二月頃二〇万円相当のデパートのギフト券を収賄した」との容疑で川崎警察署に逮捕されたこと、控訴人伊藤が昭和四九年一一月三〇日小島を「その職に必要な適格性を欠く」として、地方公務員法二八条一項三号により分限免職処分に付したこと、同人が前記事実について同年一二月一七日起訴され、次いで同月二八日別件の収賄で追起訴され、さらに昭和五〇年一月三〇日「同人は毎月二〇万円宛、一五回にわたり合計三〇〇万円の金員を収賄した」との事実について追起訴されたこと、同人が昭和五〇年七月一五日横浜地方裁判所川崎支部において公訴事実全部につき有罪判決(懲役二年、執行猶予四年)を受け、右判決はその頃確定したこと、同人が川崎市退職手当支給条例三条に基づき、退職手当として、第一回分六六九万五〇〇〇円、第二回分(給与引上げに伴う差額分)一一〇万五〇〇〇円、合計七八〇万円の支給を受けたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右退職手当の第一回分の支給は昭和四九年一二月二一日、第二同分の支給は昭和五〇年二月二七日に行われたことが認められる。そして、被控訴人が昭和五〇年九月三〇日川崎市監査委員に対し右退職手当の支給は違法な公金の支出であるとして、地方自治法二四二条に基づき監査請求をしたこと、同監査委員が同年一一月二六日付をもつて被控訴人に対し、右請求は理由がない旨の監査結果を通知したことは、当事者間に争いがない。

(二)  被控訴人は、控訴人伊藤は右退職手当の支出をしたと主張し、控訴人らは、これを争い、右退職手当の裁定は「川崎市事務決裁規程」に基づく市長の委任により職員局長が、支出命令は「川崎市金銭会計規則」に基づく市長の委任により職員局給与課長が、支払は収入役がそれぞれ行つたもので、市長である控訴人伊藤は右退職手当の支出には一切関与していない旨主張するので、考えるに、〈証拠〉によれば、右退職手当支給当時、川崎市においては、退職手当の裁定の権限は、「川崎市事務決裁規程」(昭和四一年訓令八号)により、加算支給の場合を除き職員局長に、支出命令の権限は、「川崎市金銭会計規則」(昭和三九年規則三一号)により職員局給与課長にそれぞれ委任されていたことが認められる。しかし、〈証拠〉によれば、右「川崎市事務決裁規程」は、三条一項において、「助役並びに局長、部長及び課長(以下「局部課長」という。)は、この規程の定めるところにより、自己の判断に基づき、その責任において、市長の権限に属する所管の事務又は補助執行に係る事務を専決又は代決するものとする。」と定める一方、同条二項において、「前項の規定にかかわらず、重要若しくは異例と認める事項又は疑義のある事項については、上司の決裁を受けなければならない。」と定めていることも認められるのである。(なお、右規程においては、「専決」とは、専決者が本規程に定める範囲に属する事務について、市長の在、不在にかかわらず、常時市長に代わつて決裁することをいう旨、また「代決」とは、市長又は専決者が不在である場合において、本規程に定める者が代わつて決裁することをいう旨、定義規定が置かれている。)

そして、〈証拠〉によると、小島雷太は前記分限免職処分を受けた後の昭和四九年一二月九日退職手当請求をし、川崎市職員局給与課(退職手当の所管課)においては退職手当裁定回議を起こし(同月一一日起案)、裁定金額(案)六六九万五〇〇〇円について上司の決裁を求め、右金額どおりの決裁(退職手当裁定)があつたこと、右回議(決裁文書)には決裁日同月一六日と記載されていること、同回議には同局給与第二係長、給与課長、次長、局長の順に押印(いずれも日付入り)があり、職員局長の押印(同月一三日付)に続いて、さらに助役、市長の欄に助役及び控訴人伊藤の捺印があり、市長欄のわきに角印をもつて「市長決裁」と押捺されていること、右退職手当裁定後、同月一六日(裁定日と同日)職員局給与課長による支出命令(同課長不在のため、支出命令書は同局給与第二係長が代決)がなされ、同月二一日収入役により第一回の退職手当(所得税及び住民税を差し引き六六七万五〇二〇円)が小島に支払われたこと、第二回の退職手当の支出もほぼ右と同様の手続で行われ、支出命令は昭和五〇年二月二二日職員局給与課長により、支払(所得税及び住民税を差し引き一〇二万一三八〇円)は同月二七日収入役によりなされたが、その前提をなす退職手当裁定回議(起案日同年二月一七日、決裁日同月二〇日)は、第一回と異なり、職員局長どまりの決裁(同局長印の日付は同月二〇日)で、同局長決裁印のわきに角印をもつて「局長専決」と押捺されていることが認められる。

以上認定した事実によれば、小島に対する退職手当の支出命令及び支払は第一、二回とも職員局給与課長及び収入役によつてなされたものであるが、退職手当裁定は、通常は職員局長の専決であつたのに、本件では、重要事案として、前記規程三条二項により、市長である控訴人伊藤によつてなされたものと認めるのが相当である。(第二回の退職手当裁定回議には、前記のように市長決裁印は存しない。しかし、第二回の退職手当は給与引上げに伴う差額分で、その支給は第一回の退職手当裁定の時に当然予想されたところであるから、第一回の退職手当裁定は実質的に第二回の退職手当裁定を包含していると目すべく、従つて、右事実はいまだ右認定を妨げるものではない。)

控訴人らは、第一回の退職手当裁定は専決者たる職員局長の決裁により終つたもので、決裁文書に存する前記市長の印は行政上の一応供覧にすぎない旨主張し、原審証人左近賢一及び当審証人石川明の供述中には右にそう部分があるが、「川崎市事務決裁規程」においては、前記のように、専決者が定められている場合においても、さらに上司の決裁を受けなければならない場合が定められていること、右回議上には市長である控訴人伊藤の捺印のほか、そのわきに角印をもつて「市長決裁」と押捺されていること、同回議上の職員局長の押印は昭和四九年一二月一三日の日付印をもつてなされているが、同回議の決裁日欄には同月一六日と記入されていること、小島に対する分限免職処分に関する決裁文書には市長である控訴人伊藤の捺印の上部(決裁区分欄)に角印をもつて「市長決裁」と押捺されており、前記裁定回議上の「市場決裁」もこれと同様に決裁区分を表わしたものと見るのが自然であることに照らせば右供述部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、地方自治法二四二条の二による住民訴訟は財務会計上の行為を対象とするので、右退職手当の裁定が財務会計上の行為であるかどうかについて検討する。

本件において、前記分限免職処分から退職手当支払に至る一連の行為のうち、分限免職処分が財務会計上の行為に当たらないこと並びに退職手当の支出命令及び支払が財務会計上の行為に当たることは明らかであるが、退職手当の裁定が財務会計上の行為であるかどうかは必ずしも明確ではない。すなわち、地方自治法二三二条の三及び同条の四によれば、同法は支出行為を支出負担行為と支出命令及びこれに基づく支出とに分けているが、〈証拠〉によれば、「川崎市金銭会計規則」においては、局長の指定する課長(本件においては職員局給与課長)が支出負担行為担当者と定められているのみで、局長又は市長のなす退職手当裁定が右手続においてどのように位置づけられているか、規定上明らかでない。しかし、前記のとおり、本件退職手当の裁定は、小島の退職手当の請求を受け、支給金額を具体的に決定したものであり、その後の手続はすべて同裁定を基礎として進められていること、退職手当裁定回議を起こしたのは職員局給与課であり、支出負担行為担当者も支出命令者も同局給与課長であること、退職手当の具体的な支給金額が決定した後の事務手続としては、支出につき所属年度及び歳出科目に誤りのないこと、金額に違算のないこと、支出に必要な書類が整備されていること等を調査する程度の事務しか残らないことにかんがみれば、右退職手当の裁定は、退職手当の支出原因を確認し、具体的に金額を決定したものとして、支出段階の行為に属し、財務会計上の行為に当たると認めるのが相当である。

従つて、控訴人伊藤は本件退職手当の支出に関与したものであり、地方自治法二四二条の二第一項四号の関係では、該規定にいう「当該職員」に該当するというべきである。(付言するに、同法二四二条の二第一項柱書きでは普通地方公共団体の「長」と「職員」とを書き分けているが、同項四号が代位請求訴訟であることからして、同号の当該「職員」には「長」を含むものと解する。)

(三)  次に、被控訴人は控訴人伊藤の右退職手当の支出は違法であると主張するので、検討する。

1  被控訴人は、先ず、右退職手当の支出の前提である本件分限免職処分が違法であるから、右退職手当の支出も違法であると主張する。右分限免職処分は、小島の川崎市職員たる身分を剥奪する法的効果を生ずるのみであり、その直接の効果として、小島に退職手当の受給権を付与するものではないが、右分限免職処分がなければ、右退職手当支給の問題も生じないのであるから、その意味において、右分限免職処分は、右退職手当支出の前提をなしているといつて差支えない。

しかしながら、分限免職処分は行政処分であるから、仮りにその処分に違法な点があつたとしても、それが取り消されることなく、外形上有効なものとして存在する限り、何人も(右処分庁自身をも含めて)これを有効なものとして取り扱わざるを得ず(いわゆる行政処分の公定力)、従つて分限免職処分に違法な点があるからといつて、その結果これを前提とする退職手当の支出が当然に違法となるものではない。右退職手当の支出が違法であるというためには、分限免職処分に、処分の不存在、処分権限の欠缺、あるいはその他処分の無効を来たすような重大かつ明白な瑕疵がある場合でなければならない。と解するのが、相当である。

これを本件についてみるに、〈証拠〉によれば、控訴人伊藤は、川崎市職員の任免権者(地方自治法一七二条二項)として、その権限に基づいて、小島がフランス製ガスライター一個及び二〇万円相当のデパートギフト券を収賄したという非行事実(当時判明していたのは、この事実だけである。)を処分対象とし、昭和四九年一一月二九目川崎市の担当助役、職員局長、同局次長、同局人事課長と協議の末、小島を地方公務員法二八条一項三号所定の「その職に必要な適格性を欠く場合」に該当するものとして、分限免職処分にすることとし、翌三〇日その発令をなしたものであることが認められ、小島の右行為は右分限免職の事由に該当するというべきであるから、これら事実経過から見る限りにおいて、右分限免職処分の無効を来たすような瑕疵が存するとは認められない。

しかるところ、被控訴人は、右処分が時期尚早であり、事実の調査が不十分であつたこと、より慎重に調査をつくしていれば、その後間もなく判明した現金三〇〇万円の収賄の事実の疑いを持ちえたはずであるのに、右調査をつくさず、右現金三〇〇万円収賄の事実につき処分を脱漏する結果になつたこと、そのため本来懲戒免職処分に付すべき事案であるのに、分限免職処分という極端に軽い処分にとどまり、不公平、不平等な処分であるとのそしりを免れないこと、更に、右分限免職処分は、懲戒免職処分、懲役刑の確定等による退職手当不支給の事態を回避し、小島に退職手当を支出することを目的とした不正な動機に因る処分であり、かつ選挙対策、市議会対策という他事考慮に基づくものであることを挙げ、本件分限免職処分には、いちぢるしく社会通念に反し、裁量権を逸脱した違法があると主張するが、これら被控訴人が主張する違法事由は、そのいずれをとつても、本件分限免職処分を無効ならしめるような重大かつ明白な瑕疵に当るといえないことが明らかである。

してみれば、本件分限免職処分が違法であることを前提として、退職手当の支出が違法である旨の被控訴人の主張は、右分限免職処分の違法事由の存否につき判断するまでもなく、失当として、これを採用することはできないというべきである。

2  次に、被控訴人は、昭和四九年一二月八日ころ、小島の現金三〇〇万円収賄の事実が新聞報道されたのであるから、この段階で、控訴人伊藤は、本件分限免職処分を取り消すべきであつたのに、これを取り消さなかつたことは違法であり、従つて本件退職手当の支出は違法であると主張する。

しかしながら、一旦分限免職処分がなされた後に、被処分者に新たな非行事実が判明し、この事実を勘案すれば、懲戒処分に付すべきが当然であるからといつて、右分限免職処分を取り消さなければならない義務があるとは解されず、また、瑕疵のある行政処分を行政庁みずから取り消すいわゆる自庁取消しなるものが一定の場合に考えられるとしても、本件における退職手当の支出は本件分限免職処分の取消があつてはじめて支出の根拠を欠くに至るものであるが、右分限免職処分は現に以り消されていないのであるから、本件退職手当の支給がその支出の根拠を欠くということはできず、被控訴人の右主張もまた採るを得ない。

3  なお、地方自治体の退職手当に関する条例の制定につき、その基準となるべき、いわゆる準則即ち「昭和二八年九月一〇日自丙行発第四九号各都道府県総務部長、都道府県人事委員会事務局長、五大市人事委員会事務局長あて自治省行政部長通知、別紙一、職員の退職手当に関する条例(案)」の第一二条(起訴中に退職した場合の退職手当の取扱)第一項に、「職員が刑事事件に関し起訴された場合で、その判決の確定前に退職したときは、一般の退職手当及び第九条の規定による退職手当は支給しない。但し禁錮以上の刑に処せられなかつたときはこの限りでない。」との規定が存することは、弁論の全趣旨を通じて控訴人らの明らかに争わないところである。そして本件第一回の退職手当の支給がなされた昭和四九年一二月二一日より以前である同月一七日、小島は、ガスライター、デパートギフト券収賄の事実により起訴されたこと、前記のとおりである。してみれば、前記の準則の規定の趣旨に照らし、右退職手当を支給すべきではなかつたのではないか、との疑いが生ずるのも一応もつともである。しかし控訴人川崎市における本件退職手当条例に、右準則の規定のような定めがないことは、被控訴人の自認するところであるから、本件退職手当の支出が不当といいうる余地があるかはとも角、違法ということができないことも明らかである。従つて、右準則の規定に依拠して本件分退免職処分の違法をいう被控訴人の主張もまた採用することができない。

以上のとおりであつて、他に、本件退職手当の支出が法令又は予算の定めるところに違反し、川崎市に損害を与えたことは認められないから、被控訴人の控訴人伊藤に対する本訴請求は理由がなく、棄却を免れない。

三次に、被控訴人の控訴人川崎市に対する請求は、地方自治法二四二条の二第七項に基づく請求であつて、本件においては控訴人伊藤に対する請求が認容されることを前提とするものであるところ、該請求が理由がないことは上記のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、失当として棄却(本訴請求及び附帯控訴により拡張した請求とも。)すべきである。

四よつて、これと異る原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消し、被控訴人の本訴請求及び附帯控訴(当審で拡張した請求を含む。)を棄却することとし、訴訟費用(当審で拡張した請求に関する訴訟費用を含む)の負担につき、民訴法九六条八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(大内恒夫 森綱郎 新田圭一)

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